2018年12月31日月曜日

作戦「帰省」を決行する!

何日か具合の悪い日が続いたが今日は随分と調子が良かった。

今日中にやっておきたかった用事は結局完遂する事はできず、1月4日以降にならないと打開できそうもない事が判明。だったらせめて田舎に帰る方法だけでも考えてみようと帰省のルートを検討してみた。

私の田舎はN県のM市。電車で東京からだと2、3時間かかる。ルートは昔からの中央線経由の南回りと新幹線での北回り。他に高速バスもあるが乗車する場所を新宿と上野のいずれにするかで特に高速バスには利用できる本数にかなり差が出て来る。東京の東側に住んでいるので上野から乗車したい。となるとルートは北回りに決定、後は電車かバスか...バスの場合上野から利用できるのは夜行の1本だけだが料金は格安、電車はバスよりも早く着くし本数豊富だが料金は高し...

どういう訳か大晦日の夜、バスの予約はガラガラであった。どうやら予約が楽というその点に惹かれて未知数だが今回利用するなら高速バスか...

その大晦日の夜、体調は不思議な位良かった。数日間の不調の後、ようやく体調が回復した今日を逃しては今回の帰省は叶わないかもしれない。どのみち1月4日までは用事もどうにもならないのだ。だったら帰省する方が良くはないのか?

今夜帰省すると田舎に伝えると「病気がちなお前がこの厳寒期に来るのはどうかしている」と猛烈に反対された。だがバスの料金は支払い済みでキャンセルは気が進まなかった。

正直言うとここ数年帰省できずにいた。体調を考えると来年の帰省は更に難しくなるだろうし、だったら今でなくては帰省なんぞできないのではないかと思った。

寒さに備え精一杯の厚着をし、しばらくの間、家を留守にした。

2018年12月29日土曜日

何とか帰省したいものの...

肝心な体調がここ数日思わしくない。

だるい訳ではないが体が動かず、結構一日横になっている事が多い。
血糖値が高い事がまず災いしているように思う。
それに加えて突発的な痛みがひっきりなしにあって痛み止めで何とか抑えている。

体調以外では年内に片づけないといけない用事が1つ、2つ残っている。
その用事が片付けば帰省できるかどうかはもう体調一つにかかって来る。
あまり大荷物にすると呼吸に差し支えるので、そこは要注意であるが。

年内中にとは言わないので多少遅れても帰省できればと思う。
1月中旬の通院までに戻って来られれば良いのだから。

2018年12月27日木曜日

オムロンHeartGuideのレビュー記事

オムロンからウェアラブル、スマートウォッチタイプの血圧計が来年1月8日の米国イベントCESで発表予定との事です。Gizmodeのレビュー記事が出ています。

Apple Watchよりホンモノな医療機器クラスのスマートウォッチ:オムロンHeartGuideハンズオン

first wearable blood pressure monitor: Omron HeartGuide

少々お高いですがApple Watch 4以上に正確な血圧測定ができる事が売りになっているようです。お高いと言いましたがApple Watch並みの値段ではあります。残念ながら血中酸素濃度(SpO2)は測定できない模様。日本での発売はいつになるでしょうか?


2018年12月25日火曜日

12月19日の通院。

今日は臨床腫瘍科の診察だった。

だが、取り立てて話すような事はなかった。
前回の通院でわかるように、診察前検査をしてその結果に異常がなければ次回診察までの薬をもらって帰るという流れなので、変わりようがないのだ。今年お世話になったお礼を述べ今年の診察は無事終えたのであった。

実は腫瘍科の診察の2日後、21日にも臨床感染科の診察を予約していたものの、予約時間をすっかり勘違いしていて「すっぽかして」しまった。気を取り直して1月の予約を改めて取りはしたものの今年最後の終わり方としては無念であった。もう今年の通院はない。

最近、痛みが激しくなっている。上腹部やら背中やらが日がな一日中ズキズキする。もちろん痛み止め(オキノーム)は飲むがすぐ効かなくなるので、本来レスキュー薬であるオキノームを一日中飲んでいるような状態になっている。

血糖値が高くもないのにだるくてどうしょうもなかったり、体の具合はどうも安定しない。さらに呼吸も息切れする事が以前よりも増えて来ている。歩いていて気が付くと「ハァハァ」している。その状態で馴染みのパン屋に行くと「走って来たんですか?」と聞かれる始末である。適当に話を合わせるがもちろん走って来た訳ではない。ゆっく~りと歩いて来たのですよ、パン屋さん。

いつ頃からか、2chをチェックしたりスマホゲームをしたりそちらに振り向ける己の力に余裕はまるでなくなった。ただ生活し、生活するだけでもギリギリになっている。

こうして何事もなくクリスマスは過ぎていった。


2018年12月17日月曜日

父の来訪。

私は今は東京に住んでいる。
子供の頃住んでいた田舎は東京から列車で数時間、その田舎から父がやって来てくれた。私を心配しての事だが数時間話しその日のうちに帰って行った。

そんな日帰り等という強行軍を高齢の父に強いてしまう事をまず申し訳なく思った。
それでも父は私の顔を見る事ができ「良かった、安心した。」と言ってくれるのだ。それに何と救われた事だろうか。

幸い今はまだ父も母も健在ではあるが、人の寿命とは残酷なもので、おそらくは10年程のうちに二人ともこの世界を去ってしまう。周りの人間がどれ程嘆こうと、子である私がどれ程嘆こうとそれは変わらないし変えられない。そして、厄介な病を患っている私もそうは長くは生きられまい。もしかしたら先に世を去るのは私の方なのかもしれない。

天寿により両親が、或いは病により私が、いずれが先に世を去るにしても最期の時には別れの気持ち、感謝の気持ち、過ごして来た人生への労い等、ちゃんと言葉を交わしたい。その時にどういう状況にあろうと、それだけは何とか叶えたいと思う。

それにしても私を生んでくれて、育ててくれて、家族として長い時を共に過ごし、今も心配し続けてくれる人に最期できる事がそれだけなら人の生とは何と無常なのだろうか。






12月10日の通院。

今日は臨床感染科の診察日だった。

かつて患った肺炎の治癒後の具合を引き続き診てもらっている。さすがに肺炎は完治していて気になる症状はもう残っていない。時にはわずかな時間の世間話で終わってしまうが、比較的若い先生で真摯に診て頂けるし、複数の先生に御意見を伺える機会は得難くもあり、ありがたく診察を続けて頂いているのだ。

11月21日の臨床腫瘍科の診察では良くなっているという診立てだったが、今日の臨床感染科の先生はCT画像を診ても、どうもそれ程明るい顔はなさっていない。何か気になる事がCT画像にあったのか、今年の感染科の診察は今日で終わりと思っていたのに、今年最後の臨床腫瘍科の診察の後で再度診て頂ける事になった。

ところで前回「11月21日の通院後の生活」で「普段の生活で注意すべきは痛み、血糖値、腫瘍そのものの悪化の3つ」と書いたが一つ抜けていた。

「呼吸困難」である。肺炎を患って以来、私の呼吸能力はめっきり落ちてしまった。少し負荷の高い動作をすると息切れがするのだ。この症状は確かに臨床感染科の領分に入るかもしれない。

近頃は手ぶらで歩く事が多く注意もしていたので息切れに襲われる事はまずなかったのだが、今日は注意していたのに途中で息切れして何度も立ち往生してしまった。思い当たったのはちょっと重い荷物を背負っていた事だった。要するに重いものを持ったり、速く歩いたり、階段を上り降りしたり、とにかく負荷の高い作業をしてはダメなのだ。

脚はマヒはあってもまだ達者なせいか、速く歩こうと思えば歩けてしまう...のだが、調子に乗って速く歩くと、いとも簡単に呼吸能力の限界を越えてしまう。しまったと思った時には既に遅く、動悸は激しくなり、どれ程必死に息を吸っても息苦しさは収まらない。いっそ荷物等をその辺に放り出してぶっ倒れてしまおうかと思う位で、陸で溺れるとでも言うべきか耐え難い息苦しさが続くのである。

以前既に書いていたかもしれないが、この息苦しいという症状は面倒で、例えば泣いたり涙が出たりで鼻が詰まった、顔を洗う際など何秒か息をしなかった等、普通に呼吸できない状態が続いても現れてしまうのだ。もはや泣く事もままならないのだ。

そこで、どれ程の助けになるかわからないが、外を出歩く際には血中酸素濃度を測定できるサーキュレーションとか呼ばれる機器や携帯できる小型の酸素ボンベをバッグに常に入れておこうかと思っている。

というよりも、そういった備えがなければ外を出歩く気になれない不安があるのだ。それは腫瘍の痛みと同様に二度と経験したくない痛さ、苦しさなのである。

という事で臨床感染科の次回診察は12月21日の予定である。