ここの所、痛み止めのお蔭で痛みに悩まされない平穏な生活を過ごせている。
オキシコンチンとオキオーム散、全くこの2つの痛み止めにはいくら感謝してもし足りない。もしこの薬がなかったら普通に生活する事など考えられないのだから。
私の病は神経内分泌腫瘍という悪性腫瘍で正確には癌ではないかもしれないが、何週間かに一度程度の頻度で極めて強い痛み、いわゆるがんの疼痛に襲われた事がある。実感としてあれは到底「生物」が耐えられる痛みではない。
体がまるで変形するのではないかという痛み。転げまわるような痛みという表現があるが転げまわりはしない。そんな事をすれば更に痛みが増すので動かずじっとしている他に耐えようがない。汗がにじみ耐える体がけいれんする。口からは助けてといううわ言に近いつぶやきか、獣のようなうめき声しか出ない。それが痛みに苦しむ間延々と続くのだ。
いつだったか週末その痛みに襲われ、週明けようやく痛みがおさまってふらふらの体で職場に行った事があったが、後日同僚には絶句する程ひどい顔をしていたと言われたものだ。
人が痛みに耐えられるのは、おぼろげながらであっても、その痛みがいつかは止まるという確信があるからだと思う。しかし痛みの原因が病気で、もはや治療の術がなく、病が消えてなくなる可能性がないとなると、それはつまり痛みは止まず際限なく続く事を意味するのだ。おそらくは痛みに苦しむ当人が死に至るまで。それが悪性腫瘍やがんの類の痛みである。
そこまで極度な痛みでなくとも、襲い来る痛みは闘病している者に死を予感させる。
だから、痛みの強さに関係なく痛みは感じない方が良いのだ。
早晩やってくるであろう死のその日まで痛みなく苦しみなく過ごせる事、それが最良であろう。それに加えて安楽な寝具があれば後は何もいらないという所だろうか。
死ぬのなら、ちょうど今のような初秋の穏やかな日、暑くもなく寒くもなく、欲を言えば痛くもなく苦しくもない、そういう時期に死にたいと思った。
残念ながら(?)今年はタイミングを逸してしまったようなので頑張って一年生きる事にしよう。次の秋に自分が巡り合える事を祈って。
オキシコンチンとオキオーム散、全くこの2つの痛み止めにはいくら感謝してもし足りない。もしこの薬がなかったら普通に生活する事など考えられないのだから。
私の病は神経内分泌腫瘍という悪性腫瘍で正確には癌ではないかもしれないが、何週間かに一度程度の頻度で極めて強い痛み、いわゆるがんの疼痛に襲われた事がある。実感としてあれは到底「生物」が耐えられる痛みではない。
体がまるで変形するのではないかという痛み。転げまわるような痛みという表現があるが転げまわりはしない。そんな事をすれば更に痛みが増すので動かずじっとしている他に耐えようがない。汗がにじみ耐える体がけいれんする。口からは助けてといううわ言に近いつぶやきか、獣のようなうめき声しか出ない。それが痛みに苦しむ間延々と続くのだ。
いつだったか週末その痛みに襲われ、週明けようやく痛みがおさまってふらふらの体で職場に行った事があったが、後日同僚には絶句する程ひどい顔をしていたと言われたものだ。
人が痛みに耐えられるのは、おぼろげながらであっても、その痛みがいつかは止まるという確信があるからだと思う。しかし痛みの原因が病気で、もはや治療の術がなく、病が消えてなくなる可能性がないとなると、それはつまり痛みは止まず際限なく続く事を意味するのだ。おそらくは痛みに苦しむ当人が死に至るまで。それが悪性腫瘍やがんの類の痛みである。
そこまで極度な痛みでなくとも、襲い来る痛みは闘病している者に死を予感させる。
だから、痛みの強さに関係なく痛みは感じない方が良いのだ。
早晩やってくるであろう死のその日まで痛みなく苦しみなく過ごせる事、それが最良であろう。それに加えて安楽な寝具があれば後は何もいらないという所だろうか。
死ぬのなら、ちょうど今のような初秋の穏やかな日、暑くもなく寒くもなく、欲を言えば痛くもなく苦しくもない、そういう時期に死にたいと思った。
残念ながら(?)今年はタイミングを逸してしまったようなので頑張って一年生きる事にしよう。次の秋に自分が巡り合える事を祈って。
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